執着心 25:24

ひとつの絆に対する執着心はあるのかと問われたところ、あっさり「ない」と答えてしまった手前、引き返せるのかどうかさえも怪しいです。

恐らく、自分にストレスが溜まってない時であれば、もっと違う答えが導き出せたのかもしれませんが、今は無理です。何もかもが殺伐としている、もとい、何もかも殺伐とさせているので、もう駄目です。


まぁ、もっとも執着していると言えるものがそうそうあるとは考えにくいです。


では、自分は何に執着していると言えようか?


私の場合、「自分が全く使えない人間であると主張し続ける」ことには執着しているでしょう。あるいは、「自分が全くやる気がないという主張」にも執着していることでしょう。


何だかんだ言って、今のサークルに何の発展もないのは、自分に「活動的たるための」固執がなかったからであり、「自分が全く使えず(=実務能力がない)、全くやる気がない(=指導力、率先して物事を行う気がない)という主張をし続けた」ためであると判断しています。


だから、言い方を変えてしまうと執着心がないであろうから、今何の活動もしていてないサークルがあって、何の目標も持たない自分、そしてサークルの名目上だけの主幹がいる。


そんな人物に執着心を持てだの(→これもよくわからない話だが)、反省しろだの言っても、結局のところ、自分は知識の足らない、鬱陶しいだけのガキなので、馬の耳に念仏でしょう。



サークル関係者はどうぞ呆れてください。
私は今若干感情的に書き込んでいるかもしれませんが、常々考えていることではあります。


だから、「どうせ俺は使えないんだよ。」や「私に実務能力なんてかけらもないですから」という言葉に対して、「そんなことはないです。」とか返さないでください。


本当のことを言いなさい。
そして、心にもないことを言うんじゃない。