クリスマスを少し正しい解釈で見た場合

今の王様が使えない奴だと分かった3人の少しイッちゃってるじじいは、星がきらっと光ったし(=夜になったし)、マリアのところに行くかと言い出してベツレヘムを後にする。

ちょうどそのころ、マリア様はやってもいないはずだ(と思い込んでいる)のに、産気づく。(←もしかしたら計算高い女性なのかもしれない。)

馬小屋にたどり着いていきなり、「うーまーれーるーー」とのたまった。

恐らく、この時にマリアと一緒に旅をしていたヨセフさんは、
「誰と浮気したんだ…」と凄く頭を悩ませていたはず。
「俺の子じゃねぇ!」というのはまだ手も出してもいなかった本人が一番よく知っていることですから。


マリアは得体の知れない天使の言うことを素直に聞き入れちゃうほどの天然である。もしかしたら、この天然さに惚れてしまった男はいっぱいいるのかもしれない。





ヨセフさんが苦労人であることがよく分かりますね。



じじい3人は、こっちこっちと馬小屋にたどり着いて、たまたま持っていたものをマリアに渡す。

「つまらないものですが……」とか言いながら当時では、恐ろしく高価なものを貢いでしまう。

恐らく、このじじいたちはマリアにいつもお世話になっていたから渡したのだろう。イエスの誕生を祝福するわけではなく。


ここで浮上するのが「マリア娼婦説」である。
そう、このおじいさんたちのお慰みモノになっていたかもしれないという少し考えればわかることである。

手塚治虫の「聖書物語」では、イエス誕生時に一人の少年がいるが、この少年は恐らく、噂に名高い娼婦を面白半分で見に行ったら光ってる赤ん坊がいたんでビックリしたことだろう。




…外に出歩かないと無駄にいろんなことを思いつきますね。